【浄土真宗】和讃の意味:弥陀成仏のこのかたは

【浄土真宗】和讃の意味:弥陀成仏のこのかたは

原文

弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく
世の盲冥をてらすなり   

註557

正信偈和讃六首引をあげる際の一首目の和讃です。浄土和讃の中にあります。

弥陀成仏のこのかたは

「アミダ仏は、衆生(私たち)を救いたいという願いを成就(成し遂げ)し、仏になった」

弥陀・・・浄土真宗の本尊であるアミダ仏のこと
成仏・・・願いを成就し仏になる

阿弥陀如来は、「ある願い」を成就されて仏になりました。それはどのような願いでしょうか。
→衆生(私を含む生きとし生けるもの全て)を必ず救うという願い

なぜアミダ仏は私たちを救おうとしたかと言うと、私たち(衆生)が浄土へ行けないと知っておられるからです。

私たちは、自分の命を繋ぐ為に、他の生き物の命を奪って食べないと生きられません。また、日々いろんな感情に惑わされてケンカをしたり、誰かを傷つけたりする部分もあります。

余裕があるときは優しくできたりもしますが、食料がなくなり、命の危機に直面すれば命を奪い合う危険性を伴っているのが人間です。このように、私たちが煩悩(欲望)から離れるというのはとても難しい事です。

そんな私たちを救いたい。「よし、罪を重ねながらでしか生きれないなら、そのまま浄土へ連れていくシステムをつくろう。」そう考え、自ら修行をし、仏になった。アミダ仏はそんな仏さまです。

このように一行目の「弥陀成仏のこのかたは」では、「アミダ仏は、衆生(私たち)を救いたいという願いを成就(成し遂げ)し、仏になった」と言うことが書かれています。

いまに十劫をへたまへり

「アミダ仏が仏になってから、とてつもないくらい長い時間が経った」

十劫・・・数え切れないくらい長い時間。そもそも「劫」とは、仏教やインド哲学で使われる時間の単位で、「1つの宇宙が誕生し、消滅するまで」これが一劫です。それが十個分と考えてください。とてつもなく気が遠くなりそうですね。

仏教は今から約2500年前にインドで誕生したと言われています。その教えを今日私たちが話題にしているということ自体がすごいですよね。遠い過去からの呼び声が伝言ゲームのように生きている気がして、とてもロマンを感じます。

法身の光輪きはもなく

「仏の光は今も止まることなく、際限なく照らし続けている」

法身・・・仏の三身(法身・報身・応身)の1つ。これらは、仏という存在の捉え方のようなもので、次のような内容です。

1、法身
色も形もなく、言葉に表すことも想像することもできないが、確かに存在している、法そのもの。

2、報身
具体的な形のない法(真理)が、私たちに見えるように姿を変え現れる。浄土真宗が本尊とする阿弥陀如来は報身仏である。

3、応身
人間の姿をして、この世に現れた仏。実際に人間としてこの世に現れたとされる仏は、今までたった一人しかいません。誰かというとインドのおしゃか様です。別の記事で詳しく記載しておりますのでそちらもあわせてご覧ください。

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光輪・・・仏の身体から発せられる光。煩悩をかき消す光。アミダ仏像の後ろをよく見ると、放射状の線が広がっています。これは後光と呼ばれ、あらゆる方向を照らすとされています。アミダくじの由来にもなったと言われていますね。これに関しては別の記事でもまとめています。

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このように「法身の光輪きはもなく」の部分では、「仏の光は今も止まることなく、際限なく照らし続けている」ということが書かれています。

世の盲冥をてらすなり   

「衆生(私たち)を照らしています」

盲冥・・・盲冥とは、真理が見えないこと。世の盲冥、つまり真理が見えていない(衆生)私たちのこと。
煩悩にとらわれている私たちは、真理(苦しみの原因や、この世界で起こる現象の捉え方など)が分かりません。その私たちをアミダ仏は「煩悩をかき消す光」で常に照らし続けているということが書かれています。

アミダ仏は遠い昔から、現代に生まれる私の為、そしてこれから生まれる子供たちのために修行をされました。待っていた時間は人間では想像もつかないほど長い時間ですが、約2500年前に生まれた仏教に、私はいま出会ってこうして記事にしています。「仏さまありがとう」という気持ちになった時、感謝の念仏「南無阿弥陀仏」が自然と口から出るのではないでしょうか。このようにお味わいさせていただきました。

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